"楽しむための勘所を持つ"という生き方の提案

灯台下暗しはなぜ起こるのか。

相談したことで分かったことは何か。

結論から言ってしまうと、

やりたいことをやっていなかった。
目をそむけていた。

これだけ。

いや、正確には、前には進んでいるが、
どこかで見ないふりをしていた。
そんな自分に気づかないようにしていたのだ。

よし、サイトをしっかり作り込んだぞ。
よりちゃんとしたものにするために、もっと自分の中の感覚を研ぎ澄ませ、勉強して整理して、
これでもう十全なものが出来たと思えてから、発信していこう。

と思っていたことで、結果として更新されないという状況になっていた。
ホントであれば、このサイトを前に進めていくことが本当の望みなのに見ないふりをしていた。

これを完璧主義というのだけど、気持ちとして気づいていなかった。

いや、これも、もちろん気づいているのだけど、完全にそうではな部分、
つまり、前には進んでいるという自負もあるからより気づきたくないという想いが強かったのだと思う。

特にまったく行動できていない、まったくやりたいことをやれていない、
という状況であれば、原因が明確だから分かりやすいのだけど、
なまじっか動けている分だけ、より複雑化したように思う。

これが今まで自分を苦しめていたモヤモヤだったのだ。
今思えば当たり前で拍子抜けしてしまう内容だが、本当に見えなかった。

灯台下暗しとはこういうことなんだと、本当に実感した。

本当に見えていない、もしくは見えているけど見ないふりをしているから、
すぐ下にあってもわからない。下にあるただ見ればいい、では解決しない。

周りの環境、仕事、上司や同僚、部下に対してアプローチしても、
反射的に出てくる思考や感情にアプローチしても、答えは見えてこない。

なぜなら無意識的に見えているが見ないようにしてしまっているから。

アプローチする方法を変えるというのは、病気や怪我によく使われるが、
内面にも多いに活用できる。
むしろ目に見えない分、より意識するのが大事になると思われる。

やりたいことをやってないよ、というサインとして、
周りの環境、そして呼応するようにモヤモヤとした感情がずっと合図し続けてくれていた。

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