<動画>
喋る内容というより単純に見るに耐えられるかどうかが壁として立ちはだかる。
実際に自分自身をスマホで動画に撮ってみると、そもそも見るに堪えないことに愕然とすると思う。
発信者としての立場から見ると、内容うんぬんの前に「見れている」という事実をしっかりと受け止める必要がある。
これこそボティランゲージのような言葉以外の部分の影響が大きい。
見るに耐えない場合はノイズとなる癖があるはずなので、
自分の動画観る→修正という試行錯誤を繰り返して徐々に直していく。
<文章>
何よりの盲点は読みやすい文章であればあるほど凄いということに気付きにくいこと。
ポエム的な文章であれば強調されているので分かりやすい。
逆に小難しく書いた文章を分からないゆえに凄いと判断していることもある。
(ただこの場合は本来的な意味での凄いというより、
判断放棄的なニュアンスを含む解釈にはなっているので厳密には違うけれど、、、)
小難しい文章にも、
ちゃんと読めるけど内容が難しく頭に入ってこないというパターン
そもそも文章が読みづらい故に難しいと感じるパターン
という2つのパターンあるので、
ここはしっかりと区別しておこう。
さて、読みやすい文章である。
読みやすいほど簡単に見え、自分でできると思えるのでスルーしてしまう。
これも自分でやってみると分かるという典型例だ。
なので読みやすい文章に出会ったときほど、
一度立ち止まって自分で書こうとしてみると思いも寄らない発見があるかもしれない。
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