スポーツの世界ではよく「やる」と「観る」は全然違うといわれる。
特に「観る」に関しては、経験しているかどうかが大きな分かれ目の一つだ。
経験済みだとよりミクロに解像度高く、
一つ一つのプレーを様々な観点から捉えることができる。
もちろん経験していないから楽しく観れないというわけではない。
でもどうせなら、身体的や環境的に出来ないものは別として、
できる限りやっていたほうがより楽しく観れると思う。
そしてこれは情報発信というものにも同じことが言える。
たとえば喋りや文章がうまいと言われている人を見聞きして、大したことないと思うときがある。
絶対値で見ると本当に大したことない場合もあるが、
いざ自分がそれと同じことをやろうとすると、まあできない。
分かりやすい例としては馴染み深いyoutuberだろう。
喋り上手と言われているyoutuberに対して「全然うまくない・下手」というアンチコメントがついていたりする。
もちろんときには僕もそのように思ったりする。
でもそれと同じ内容のものを言おうとしてみてほしい。
同じようにできないのだ。
まあ愕然とする。
ちょっとそれっぽくまとめると、
「発信されたアプトプット(情報)の質」と「そのアプトプットに至るまでの内的な動き」
に差があるのだろう。
「思ったこと」と「やること」は単純な一対一で結びついていない。
結びつけるスキルの習熟が必要なのだ。
発信することで分かる凄さの意味
2022-04-30
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